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 以下の文章は、2007年12月の私が、当時まだ人気のあったSNS『mixi』(この響き!)に綴った日記で、友人のみに公開していた非常にプライベートなものです。
 なにしろ9年強も前のことだから、文章はもちろんのこと考え方や論旨の展開が今にも増して稚拙だし、なによりも途中で書くことに飽きているのがありありと分かったりして、これを公開することが是であるかは今なお疑問なのですが……しかし、ブログのエントリにすることにしました。「2017年に素晴らしい新曲を世に問うた」というバイアスがかかることのない、『ひふみよ』以前である2007年の小沢健二を、その当時の自分がどのような受け取り方をしたのか、できる限りそのまま残しておくことが、なんか、良い気がしたからです。

 個人的には、先日のNEWS ZEROで「自分はそんな大した存在じゃない」と言っていた姿が、あの日、映画のあとに我々に喋りかけた彼と重なって見えてました。本当に、変わらぬ信念で表現に携わり続けているんだなあ、って。


 小沢健二を見てきた。

 という言い方は少し正確ではなくて、小沢健二とエリザベスコールが手がける映画「おばさんたちが案内する未来の世界」を観る集いに、友人の厚意で連れて行ってもらったのだ。
 本当に降って湧いたようなありがたすぎる誘いで、小沢健二の本当のすばらしさに気づいた頃には、すでに彼が、その活動を謎めいたものにしていた世代としては、生の小沢健二を見ることができるというだけで僥倖だ。ましてや『天使たちのシーン』をはじめとする彼の素晴らしい歌詞、メッセージ性に、大げさでなく人生を救われた経験がある大の"オザケン信者"を自負する私にとって、彼をひと目見ることは人生の目標の一つでもあったのだ。

 もちろん、『ある光』のころを境にいっさいメディアに登場しなくなり、『Eclectic』でわずかな写真のみでしか見ることのできなくなった彼の姿は、単純に野次馬的な興味として、ファンでなくても気になるところだろう。 実際、クイックジャパン誌によるニューヨーク直撃取材の影響でか囁かれるようになった、"小太りになったオザケン"という噂は、かつての"渋谷系の王子様"といった良くも悪くもナルシストっぽさを想起させるイメージとは大きくかけ離れたもので、売れなくなったミュージシャンという負のイメージとともに、嫌な関心を集めている。
 加えて、かつて"オザケン"を好きだった人たちにとっても、その動向を追ってるからこそ、彼の実父が発行する雑誌で連載されている童話『うさぎ!』の内容、とくにわかりやすく「反グローバリゼーション」が掲げられていることを知り、その胡散臭さにオザケンは変わったという印象を抱いてしまったりもする。
 悲しいかな、私も確実にそういった認識を持っていて、『毎日の環境学』をファンだからという理由でとりあえず購入し、それをきちんと聴くことも無しに過去の『流星ビバップ』なんかを聴き返しては、「またこういう曲を作ってくれないかなぁ」と溜め息をついていたくらいだ。

 しかし今日オザケンを見た結果、私はオザケンを自分の中で勝手に過去の人としていた、殺してしまっていたことを悔い改めなくてはいけないと反省するにいたった。
 結論から言えば、私が彼の歌詞のなかで最も強く影響を受けた「喜びをほかの誰かと分かり合う、それだけがこの世の中を熱くする」という信念や、「愛し愛されて生きるのさ」といったメッセージは、あの頃から10年余りを経た彼にとっても、今なお生き続けていたのだ。
 そしてその信念の行き着いた先が、反グローバリゼーションだったというだけで、当たり前のことだけれど、かつてのオリーブ少女が「人とは違うわかってる自分」を演出するためにロハスなどに行き着いたのとはまったく違う道筋を歩んだ結果であるとすぐにわからされた。
 だって彼の言う「分かり合う」という精神は、「出し抜く」という経済至上主義の論理とは明らかに相反するものではないか。こんな簡単なことに私は気付かないでいたのだ。

 映画の内容はボリビアで農民が訴える農地改革の成功の様子から、チャベス大統領を支持するベネズエラの民衆の様子を、そこで暮らすおばさんたちを通して見るといったものだ。
 そのなかではたとえば鉱山の苛酷な労働環境で働かされてきた現地の人々が、鉱山の国営化によって「外国企業に搾取されないですむ」と喜ぶシーンなどが映し出される。もちろんこうしたベネズエラの状況は非常に大まかであれば私なんかでも見知っているし、反グローバリゼーションというスタンスは、とくにブッシュ着任以降に私も同意し、ファッションにならない範囲で取り入れてきたつもりの問題意識だ。
 それだけに、こんなことはいまさら見るまでもないと思ったし、なんだか「君たちもっと勉強して!」と言われているようで、「もともと金持ちの家の息子がなに言ってるんだ」と反発を覚えたくなるところもあった。 ましてや、ともすると善良な正義に思える運動に個人が埋没していくことや、そこで自己実現的な意識が見出されてしまうことへの危機感は、かつての薬害エイズ問題における小林よしのりの指摘と同じもので、私はこのような問題意識に関してだけは同氏を支持している。

 だから2部構成の映画を観終わったあとにみなで話し合う時間が用意されていると知ったときは、正直勘弁してくれと絶望的な気分になったりした。
 だが、いざ話し合いの時間が始まると、オザケンは「この映画を観て思い出したことを話してください」と願い出たのだった。意見や感想ではなく、「思ったこと」や「考えたこと」でもなく、彼は明らかに意図的に「思い出したこと」という単語を選択してきたのだ。そして話を聞いてるうちに、彼はべつに参加者の面々に、何か運動をすることを求めているのではないことがわかった。あるいはこうした映画を集団で見ることで問題意識を持ち、運動した、勉強したつもりになり、義憤を晴らすただのガス抜きになってしまう危険を案じていることも伝わった。
 つまり彼は、意見を交わし、議論するといったことが起こらないように、個人の問題をそのまま個人のものとしてフィードバックするために、あえて「思い出したこと」を語ってほしいと願い出たのだ。なにしろ意識を変えて生活を改めろと言ったって、みな個々人の人生があるのだから誰もが簡単に変えることなどできないし、ましてや個人の人生は根本的に、赤の他人がとやかく言うようなものではないのだから。
 にもかかわらず、オザケンに対してかつてのメディアスターの地位を生かして、もっとメディアに出て反グローバリゼーションについて語ればいい、といった意見を主張する人間が少なからずいたのだから、彼の苦悩がうかがい知れる。ファンだろうと誰だろうと、小沢健二の人生に口出しする権利など持ち合わせてはいないはずのに。

 けれどもそうした参加者とのやり取りにあっても、彼は極めて誠実かつ真摯に応じていた。
 そのなかで「自分という人間は本当に小さい」といった主旨の発言をし、大きな問題を変えるためには、みなで繋がっていっしょに動くしかない、ひとりの人間によってひっくり返すようなことはできないと言っていた。
 大きな問題に直面した彼は、それを変えることのできない小さな自分を見つめながらも、そこで諦めることをせずに、変えるために共闘してくれる人間を探すための活動を、他人に精一杯配慮しながら行なっているのだ。それは本当に個人的な戦いではないか。

 そうだ。思えば小沢健二は、自分の小さな戦いの歴史を、赤裸々なまでに表現してきたアーティストだったではないか。
 「世界は僕のものなのに」と歌った思春期の自意識や「分かりあえやしないことを分かり合うのさ」と歌った究極の諦観。「不ぞろいな心はまだ今でも僕らを悩ませる」と歌ってから数年経っても「大人になれば」なんていい歳こいて歌ってみたり。
 プライドの高さと頭のよさが故、すべてをわかったうえで理論武装をし、繰り出される痛々しくも鋭く尖った歌詞や言動こそが、小沢健二という表現者の魅力であり、その真摯な姿が、誰よりも私の心を震わせ、虜にしていたのだ。

 常に戦い続けて生傷の絶えなかった彼が、今も新しい傷にまみれている。そう、私が大好きだった小沢健二は何も変わっていなかった。だから私は、この生真面目な表現者を、その誠実な戦いぶりを、これからも愛し続けるだろう。
 もちろん、40才を目前に控えるというのにまったく衰えることのない、まるで女の子のように愛らしい容姿といっしょに、だ。


 小太りとか超ウソじゃないですかー!